薬の休憩室(第16回):相模最古の有鹿神社に行こう!

(Y.M)

12月の上旬の肌寒い日曜日に東側丘陵(勝坂遺跡公園)下の湿原にある有鹿(アルカ)神社・奥宮を目指して左の細い山道に入った。5分程緩い坂道を下ると湿原が広がって右側に奥宮が見える。奥宮は、本宮から北に6キロメートル程離れた相模原市南区磯部の「有鹿谷聖地」に鎮座し、女性の水神・有鹿比女命(アリカヒメノミコト)を祀る。鎮座地の傍は水源となっていて小祠と鳥居がある。また、勝坂遺跡公園の中に国の史跡に指定されている勝坂遺跡があり、縄文時代中期より祭祀が行われ銅鏡、鉄鏡、勾玉などが出土している。日本で一番由緒ある伊勢神宮でもその起源は約2000年であり、有鹿神社・本宮は約5000年というからその凄さが分かる。遺跡を見下ろす山の上には石楯尾神社(論社)がある。

中宮は「有鹿之池」とも呼ばれ、本宮から徒歩5分程の位置に鎮座しており、男性の太陽神・有鹿比古命(アリカヒコノミコト)・有鹿比女命の2柱を祀る。鎮座地には小さい池(現在は水が張られていない)と小祠、鳥居がある。この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝説がある。

本宮は海老名市上郷に鎮座し、有鹿比古命を祀る。神奈川県の中央に位置しており、子育て厄除けの神様として有名である。境内は「有鹿の森」とされるが、松が1本もないため「松なしの森」ともいわれる。相模の正史に叙位が明記されている神社は、有鹿神社、一宮の寒川神社、石楯尾神社だけである。鎌倉時代には「正一位」を朝廷より賜り、海老名氏という鎌倉幕府の重鎮の手厚い庇護のもと栄華を誇ったが、鎌倉幕府滅亡とともに衰退した。

三社の位置関係は、本宮は鳩川(有鹿河)の相模川への流入口域(有鹿郷)にあり、奥宮は鳩川の水源の一つである。中宮は鳩川の中間地点の座間市入谷の諏訪明神の辺りにあったが、中世期に衰退し、海老名の現在地に遷座した。なお、鈴鹿明神社の説話縁起では、アリカ族と鈴鹿族が争った際、諏訪族と弁天様の加勢により鈴鹿族が勝ち、アリカ族は上郷に追いやられたとされる。これが有鹿神社の移転の伝説となっている。

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)は、神奈川県だけでも七社あり、祭神は、石楯尾大神。鵠沼皇大神宮の境内社も式内論社とされる。相模原市名倉にある石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征の砌、持ち帰った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まり」と由緒を伝えている。